peppermint-fk’s blog

日々の暮らしの中にあること

運そば、博多雑煮、がめ煮 博多のお正月

 

*商人のまち、博多のお正月*

古くから商人のまちとして栄えてきた博多。

ひと昔前の博多の年の瀬とお正月までの風景を

時系列で追ってみました。

そこには、どこの都市にもある消えてしまった情緒があり

和やかな暮らしの風景がありました。

 

そして、現在。

形を変えながら、わずかでもその面影をとどめつつ

さがすと見えてくる、代々の家の味や昔ながらの様々なかたち。

年の瀬にこの一年をふり返り感謝する。

新しい年に家族みんなの願いや希望を託す気持ち。

時代がすすんでも、便利になっていく現代でも

人々の暮らしの中でも、ちゃんと大切にされているようです。

 

 

1 博多の正月事始め

12月13日を博多では「正月事始め」とし、この日から正月へ向けたさまざまな準備がなされました。どのようなことが行われたのでしょうか。

まずは、一年間の煤払いをこの13日に行っていました。そして順次、玄米を精げたり正月に飾る門松を伐り出したりといったことが各家々で行われました。23日になると、大公秀吉の町割りの時代から続く「愛宕さま詣り」をしました。これは、開運・長寿・商売繁盛・鎮火また禁酒・禁煙、その他の禁断の神として霊験があるとされる鷲尾愛宕神社へのお詣りです。新年の日々を幸せに過ごしたいという人々の思いがこの「愛宕さま詣り」に込められていたのですね。

その後、各家々または各流(博多部では各町のことを「流」と呼んでいました。) ごとに餅つきが始まりました。

 

2 三味線の音と杵の音と 風情あった博多の餅つき

戦後間もない時代には餅つきの際に町内から、かね鉦や三味線のお囃子にのせてつくという、風情ある光景がみられたそうです。余談ですが、この餅つきは27、28日までに終わらせてしまいます。これには、29日はクモチ(苦餅) だといって、縁起を担いで避けられたため28日までに餅をつきあげたそうです。現在も、このような数字に意味を込めて縁起を担ぐ慣習は日本全国にみられますね。

この餅をつく順番も重視されていました。最初の「一番臼」でお鏡餅をつき、次に神仏にあげるお供え餅、そして人が食べる餅の順でつきます。現代では餅つき自体が特別なイベントのようになり、鏡餅は購入する人が多いかと思いますが、この臼でつく餅には、年の瀬に自然を敬い、新年を迎える準備を家族総出で行うという、暮らしの大切な意味も込められていたように思います。

 

3 軒先を飾る末広がりの注連縄飾り

次に、各家の軒先を飾る注連飾りの準備にとりかかりました。博多では門松よりもこの注連飾りの方が厳格にされていたようです。その形は、商人のまち・博多ならではの末広がりで、縁起の良い形です。また「しゃくし」といわれる輪注連を風呂・炊事場・部屋などの家の至る所に飾り、年神様への畏敬とお清め、結界の役目を兼ねていたようです。

現在、軒先を飾る注連飾りはマンション等の集合住宅が多いため、各棟の集合玄関口などに飾られていますが、形は昔からの造形が継承されています。新年を祝う正月神事や畏敬の念も、簡略化されてはいますが継承されているのです。

 

4 晦日の年越しそばは「運そば」というのが博多人

晦日の博多人の過ごし方は、座敷に大判・小判、俵など縁起のいい物をさげた「副柳」を飾り、年越しそばを食べ、来る年の平安を祈ったそうです。このとき食す年越しそばのことを博多では「運そば」と呼びます。

この運そばの起源は、鎌倉時代に遡ります。ある年、博多のまちは飢饉と疫病流行のため生きている者さえも餓死寸前でした。その年の大晦日謝国明が博多の人々を承天寺に呼び寄せ、“「さあさ、縁起直しにどうぞ。」と宋より持ち帰り貯えていたそば粉と麦粉で作った「かゆ餅」を振る舞った ” 1)そうです。やがて博多の人たちは元気を取り戻すことができました。

博多の人々はそれ以来、年越しそばを「運そば」と呼ぶようになりました。博多の年越しそばには、まちの人々が救われたエピソードが込められているのですね。また、この承天寺境内には「饂飩・蕎麦発祥之地の碑」が建っています。

 

5 あごだしと丸餅の雑煮から始まる元日の朝

明けて元日の朝、博多の家庭の食卓にはおせちの他に、「博多雑煮」が上ります。ダシは大晦日の運そばのダシと同様「あご(飛び魚)だし」を使用。薄口醤油や酒で味つけされたすまし汁仕立てです。具はブリ・人参・里芋・椎茸・蒲鉾そして、福岡県産の伝統野菜であるかつを菜を必ず入れます。そして丸餅を入れ、正月の祝いの膳をみんなで囲むことが習わしでした。また、祝いの席に必ず出る「がめ煮筑前煮)」も博多の正月料理の定番です。

このように博多ならではの食材や慣習、風土が活かされた正月料理で賑わう食卓が、博多の元日の朝の風景でした。今でも、博多雑煮やがめ煮は各家庭の味を引き継ぎながらお正月のテーブルに並びます。

 

6 博多のまちの初詣、そして活気づく正月神

博多の人々の初詣も、正月三ヶ日のうちに氏神様の神社や近くの神社を詣でました。これは今も変わりないお正月風景のひとつでしょうか。そして、商人のまち・博多ならではのお正月の行事が2つあります。

その一つは、室町時代に始まったとされる筥崎宮の「玉せせり」で、約500年以上続く正月神事です。1月3日に盛大かつ厳重に行われます。午後1時の玉洗い式にて祓い清められた陰陽2つの木玉を末社玉取恵比須神社に運びます。その後、陽の玉は裸に締め込み姿の競り子達に手渡され祭典開始となるのです。

陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、年の初めにあたり博多の一年の吉凶を占う意味もあります。この玉を納めた町が浜側なら大漁、陸側なら豊作、馬出ならば一年の繁盛を得ると言われています。

この玉せせりで博多のまちは、正月のピンとはりつめた静寂を破り、新年が一気に活気づいていきます。

そして、二つ目は1月8日から11日までの4日間行われる正月大祭の「十日えびす」詣りです。こちらも始まりから約400年以上続いています。この「十日えびす」では、商売繁盛、家運隆盛を祈願する地元の商売人やビジネスマン、市民で賑わいをみせ、商人のまち・博多らしい新年が感じられます。普段は静寂な神社ですが、この「十日えびす」中は毎年約100万人の参拝者が押し寄せます。

名物の福引は空クジなしで必ず福が授かるようになっています。境内には「大当たり~!」「末広がり~!」と世話人の縁起の良い声が響きわたります。張子の福起こし、福寄せ、金蔵、中には大きな熊手など、縁起の良いものばかり。「福笹」と共に渡されます。

また、希望する参拝者は「えびす銭」という縁起の良いお金を授かります。これは古くからのしきたりで “ 商いの元金(種銭)として神社より縁起の良いお金を借り” 2)“ 翌年は神明の御加護に依り繁昌したお礼として借りたお金を倍にして神社にお返し” 3)するという風習によるものです。実際に昔の通貨一文銭を希望する参詣者に授け、翌年には返してもらうようにしています。

そして、9日の午後には博多券番の総勢で参拝する「徒歩(かち)詣り」が行われ、その華やかで艶やかな姿を一目見ようと多くの人で参道があふれます。

 

こうして商人のまち・博多は、家族とともに、地域とともに、しきたりや風習を大事にしながら、お正月準備をしていました。末広がりの注連縄を飾り、運そばで年を越し、あたたかな博多雑煮を家族で元日の朝に食しました。そのあとは、家族や近所の人たちと、それぞれ新しい年への願いや希望を胸に神社に向かい、正月神事を大切にたのしんできました。

その風景は、形は違えど、また簡略化されながらも現在に続いています。大事な暮らしの節目として息づいているようです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------【出展】1):石村蔓盛堂ホームページ/ 2), 3):十日恵比須神社ホームページ

【参考文献】武野 要子(著)『博多町人が育てた国際都市』,岩波新書,2000年/読売新聞西部本社 編集『博多商人〜鴻臚館から現代まで』,海鳥社,2004年/丸山 雍成・長 洋一 編集『博多・福岡と西海道』,吉川弘文館,2004年/福岡シティ銀行「博多に強くなろう」編纂室,『博多に強くなろう1』、『博多に強くなろう2』,葦書房,1989年/飯倉 晴武(著) , 『日本人のしきたり〜正月行事、豆まき、大安吉日、厄年…に込められた知恵と心』,青春出版社,2003年/筥崎宮ホームページ/十日恵比須神社ホームページ/博多町屋ふるさと館ホームページ/石村蔓盛堂ホームページ/九州農政局ホームページ/福岡市役所ホームページ

アートとデザインの違いは「1対1」、「1対多」。

*アートは1対1、デザインは1対多で考えてみました*

アートとデザインの境界線をはっきり分けるとすれば、どんなことがあるでしょうか。

この2つの違いとはなんだろうかと考えてみました。

それは

アートは1対1デザインは1対多へ伝えるもの。

これで切り取ったアートとデザインの違いを5つの軸で考えました。

この5つの軸でわかった違いで、アートとデザインの役割や

日々の暮らしに活きていることが浮き彫りになれば

これまで何気なく見ていたものや見過ごしていたものから

暮らしが楽しくなるヒントが見つかるかもしれません。

 

 

1 アート代表・絵画とデザイン代表・イラストレーション

 美術館では名画に会うことができます。そのほとんどは1点もの。鑑賞する人は、その作品が持つエネルギーを直に感じることができます。

 一方、イラストレーションの場合、商業広告などのもと何らかの訴求目的のために描かれることがほとんどです。ひと昔前なら挿絵と言われていました。そのイラストは印刷などで多くの人の目に触れることになります。何かに付随してまたは何かを補足するため、意味づけのための役割を担います。

 

2 プライベートな空間とパブリックな空間

 アートはその多くがギャラリーや美術館といった場で私たちは出会います。その希少性ということからかなり限られた場が設定され、アート作品と鑑賞する人との間にはある一定のプライベートな空間が生まれます。

 デザインされたものは、瞬時に不特定多数の人が見られる場が選ばれます。掲示されたポスター、建築物、TVで流れるコマーシャルなどは人の目に留まる様々な工夫がなされ、パブリックな空間で私たちはそれらを見ることになります。

 

3 能動的なアートと受動的なデザイン

 アートは観る人がその対象物を選びます。そして、鑑賞者はその作品と対峙し、その作品から何らかを感じ、時には議論することに発展したりします。アートという1つの作品に対して人はしばしば能動的な行動をとります。

 デザインは身の回りに溢れていて生活の中に活きています。ある意味、私たちに勝手に訴えかけてくるともいえます。例えばテレビコマーシャルや街角に貼られたポスターなどは、こちらが求めていなくても視界に飛び込んできて、知らぬうちに、あー面白いCMだなあ、とか、へえーこんなイベントがあるんだ、などと見る側は受け身な状況でそれらを目にしたりします。このように見る側を受動的にする狙いには、多数の人に訴求することが大きな目的でもあります。

 

4 一人の作家と多数のスタッフ

 アートは基本的に一人の作が創り出します。アーティストのエネルギーや思いや願い、そういったことが作品にこめられ完成していきます。そのほとんどは一人の人間から生まれて来きます。

 デザインは多くのスタッフが関わり制作していきます。プランニング、プロデュース、フィニッシュワーク…。これらの人々がアイデアを出し合い、工夫し、いくつもの検討や確認を重ねながらデザインが進んでいきます。実にたくさんの人が携わり、完成するのです。

 

5 一人に発信、多数に発信

 アートは作家が創り出す作品と向き合ってつくられます。そして、鑑賞する人がその作品に感じることは一人一人異なります。それぞれが思い思いのことを感じます。それはアートが放つものであり、アートならではの特長であり、アートの仕事なのかもしれません。つまりアートはその作品の前に立った一人に発信すると言えるでしょう。

 デザインは常にその背景にあるターゲットになる多くの人に発信するためにつくられます。そのためにデザインが必要であり、必然として生まれるといっていいのかもしれません。発想の段階から完成に向けて計画的に構築されたアイデアが、デザインによって多数への訴求力と発信力になっていきます。

 

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アートとデザインの違いを1対1と1対多で切り取り5つの軸で考えました。

アートもデザインも、暮らしの中に大なり小なりあり知らないうちに触れている。

そんな身近なものなんだなということに気づくと

今までの過ごし方がちょっと変わっていくかもしれません。

そして、これからの毎日が少しでも楽しくなればと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。